新玉ねぎが高いです。

それも、え!と思うような値段がついています。

これは少し小ぶりなので3個で434円(税抜き)ですが、大玉になると100円くらい高くなります。

つまり、1個200円に近いわけです。

新玉ねぎだから仕方ないのかなと思っていましたが、そうではなかったようです。

1玉198円…タマネギの異常な高騰 北海道の干ばつで流通混乱 産地一極集中の弊害を露呈

以下、長周新聞新聞の記事から冒頭部分を転載します。

今年に入って続いているタマネギの価格高騰がなかなか落ち着きを見せない。カレーやハンバーグ、コロッケ、野菜炒め、ギョーザ、親子丼、牛丼……主役ではないけれど、なにをつくるにも必ずといっていいほど使うタマネギ。山口県内でも5月に入り1玉198円の値札がついたスーパーもあるなど、庶民の味方の存在が、いつの間にか高級野菜になってしまった。ミートショックに続くタマネギショックだ。北海道産から佐賀県産など九州の産地に切り替わるこの時期は、例年少し値上がり気味になるとはいえ、「これほどの高騰は近年にない」と青果販売にかかわる業者も頭を悩ませている。あと1カ月ほどで落ち着くとの見方もあるが、「農業の構造的な問題を解決しなければ、同じような状態がくり返される」と指摘されている。

3月の小売物価統計調査によると、タマネギ1㌔㌘当りの全国平均価格は421円。なかには500円をこえた都市もある。昨年5月の230円と比べるとおよそ倍だ。2~3個で500円となると、多くの人にとってちょっと手が出る価格ではない。山口県内では調査都市の山口市で468円となっており、地方とはいえ決して安い価格ではない。
 山口県内のある食品スーパーではゴールデンウィーク明け、長崎県産の新タマネギを「1ネット538円(税込み)」で販売していた。青果担当者は「これは買わないで下さいという値段。昨年末ごろから北海道のタマネギがなくなり始めていたが、その他の悪条件も重なってここまでの価格になっている。ほしいと思っても手に入らない状態だ」と話した。
 別の食品スーパー関係者も、「春に北海道産タマネギから新タマネギにかわるが、4月の第三週まではそれほどでもなかった。しかしゴールデンウィーク明けごろから、一番人気のM玉が入ってこなくなり、価格が高騰していった」と話した。

これほど高くなると滅多に買えなくなってしまいますが、この記事を読むと日本の農業の構造的な問題があるようです。

詳しくはリンクが張ってあるのでお読みいただきたいと思いますが、食料は昨今の国際情勢からみても、できるだけ自分で作ることが必要と感じます。

垂直仕立てで食糧危機対策を

少々大袈裟化も知れませんが、これから先、もしかすると食糧危機がやってくるかも知れません。

小麦の世界の一大生産地(輸出国)であるウクライナがロシアと戦争になっています。

そのため、小麦の輸出ができなくなれば世界中は大混乱になるでしょう。

もちろん日本が金に飽かせて買うことはできるかも知れませんが、価格は高騰し庶民には手が出なくなるでしょう。

そうなればパンやうどんを食べないか、別の物を食べるしかありません。

しかし、それも困難です。

日本は米が余っている?

いやいや国民を養えるような量なんて全くありません。

実際問題、食料自給率が37%ではどうにもならないでしょう。

ではどうするか。

自分で作るしかありません。

そんなの無理だよと思われるかも知れませんが、100%自給でなくてもいいんです。

1割でも2割でも構いません。

たったの1割・2割と思うから何も行動が起こせないのです。

小麦や米は庭では作れませんが、小さな土地があるのならジャガイモなどの野菜が作れます。

もちろん玉ねぎも。

土手に作っているキャベツ

多くの人がこれを実行すれば、需要が減ることで価格は下がり、必要なところに供給できます。

さて、我が家には小さな庭しかありませんが、家庭菜園で数多くの野菜を作っています。

芝生を潰して、インゲンとブロッコリー・カリフラワーなどを作っています。

垂直仕立てなら狭い敷地でも数多くの野菜ができるわけです。

たとえ50cmくらいの幅しか無くても野菜は十分に育ちます。

枝豆と中玉トマト

それから、廃物のタンクを利用した栽培は、今年もうまく行っています。

病気や虫にもやられていません。

レタスとチンゲン菜

垂直仕立て栽培は縦方向に育成するので、小スペースなだけでなく、肥料を使わないのも大きな特徴です。

【無施肥栽培】野菜の垂直仕立て栽培が世界に広がれば食糧危機はなくなるはず

それだけでなく、種を買い、苗を仕立てて栽培すれば更に経済的となります。

エネルギーの問題もそうですが、よくよく考えれば自分で生産する(手に入れる)ことをまず考える時期に来ているように思います。

現実が目の前に来てからでは遅いのです。