今日は1月25日、世間では自民党の裏金問題で大騒ぎですが、能登の大地震はどうなっているのでしょうか。

私はTV・新聞をほとんど見ないのでよく分かりませんが、被災者は十分な支援は受けられているのか気がかりです。

たぶん岸田政府は、自助・共助でやれ、公助は最後で何もしないのではないかと思っています。

残念な話ですが、これまでの政府の災害対応を見る限り、災害に遭ったらたとえ生き残っても悲惨な人生を送ることを覚悟しなければなりません。

それはさておき、今回の能登で起きた地震で分かったことがあります。

能登半島の先端に、原発が1975年に計画され、2003年まで反対運動があったこと。

もしも、この反対運動がなく原発ができて運転していたらと思うとゾッとしませんか。

珠洲原発を止めて「本当によかった」 無言電話や不買運動に耐えた阻止活動28年の感慨

後で読めなくなってしまうこともあるので、記事全文を以下の掲載します。

能登半島地震の震源地近くに建設が計画されていた「珠洲(すず)原発」。建設予定地だった石川県珠洲市高屋町は、今回の地震で住宅の大半が壊れ、陸路も海路も閉ざされて孤立状態に陥った。もし原発が実現していたら、重大事故が起きて住民の避難がより困難になった可能性もあった。建設を阻止したのは、住民らの長年にわたる根強い反対運動だった。どのような思いで止めたのか。(岸本拓也)

◆あと1年続いてたら僕らがつぶれていた

 「どこで何があるか分からん。本当に珠洲原発を止めて良かった」

珠洲原発の反対運動のリーダー的な存在だった塚本真如さん=17日、石川県加賀市で

珠洲原発の反対運動のリーダー的な存在だった塚本真如さん=17日、石川県加賀市で

 今回の地震で被災した高屋地区にある円龍寺の住職・塚本真如さん(78)は今月中旬、同県加賀市にある2次避難先のホテルで「こちら特報部」の取材にほっとした様子で語った。

 珠洲原発計画の反対運動で中心的な存在だった塚本さん。1975年に持ち上がった計画は、住民の反対運動と、それを切り崩す電力会社側との28年に及ぶ「闘争」の末、2003年12月に凍結された。塚本さんは「あと1年粘られたら、つぶれとったのは僕らの方やった」とかつての日々を振り返る。

◆関電は飲食や視察旅行で懐柔を図る

 関西、中部、北陸の3電力は1976年に正式に原発計画を公表した。しかし、関電が建設計画を進めた高屋地区では当初、住民のほとんどが反対していたという。そこへ関電側が住民の懐柔に動いた。「タダで飲み食いさせたり、原発視察名目の接待旅行に何度も招いたり。芸能人を呼んだ住民向けのコンサートも開かれた。僕は一度も行かなかったけど、最後は住民が飽きて視察に参加しなくなるほどだった」

かつて珠洲原発反対派の拠点となった円龍寺も、地震で大きな被害を受けた=石川県珠洲市で(塚本さん提供)

かつて珠洲原発反対派の拠点となった円龍寺も、地震で大きな被害を受けた=石川県珠洲市で(塚本さん提供)

 関電から、地域の祭りで使う奉灯「キリコ」の収納庫や農作物の保冷庫などを建てるための多額の寄付もあった。原発予定地の土地を貸して、億単位の賃貸料を得た住民もいたという。「カネ」の力の前に、一人また一人と賛成に回り、地域は分断されていった。

◆「安全はウソ」 学ぶほど疑念は確信に

 計画が持ち上がった当初、塚本さんは原発に賛成でも反対でもなかった。しかし、「推進、反対の本を100冊は読んだ。学ぶほど、安全はウソで固められていると疑うようになった。放射能と人間は共存できんなと」。米スリーマイル島や旧ソ連チェルノブイリでの原発事故もあり、疑念は確信に。反対運動へ深く関与していった。

珠洲市役所で座り込みをした反対住民らの動きを報じる1989年5月23日付の北陸中日新聞記事

珠洲市役所で座り込みをした反対住民らの動きを報じる1989年5月23日付の北陸中日新聞記事

 転機となったのが、関電が高屋地区での原発建設に向けた現地調査に乗り出した89年5月。塚本さんを含めた住民たちは調査に入ろうとする関電の車列を阻止し、市役所で約40日間にわたる座り込み抗議を始めた。円龍寺は反対運動の拠点となった。

 「それまで表に出ないようにしていたが、このときは大声を上げた。行動しないと何もならんと。知らん間にリーダー的な存在に祭り上げられていた」と塚本さん。住民らは念仏を唱えて道路に座り込んだ。調査を中断に追い込んだ。

◆「絶対に推進派の個人攻撃だけはするな」

 この頃から原発を巡る対立は激しくなっていく。高屋地区では住民の賛否が分かれる中で、毎年秋の住民運動会が中止された。生活雑貨店を営み、原発に反対した井上伸造さん(76)は「『反対派の店で物を買うな』と、不買運動も起きた」と明かす。

 塚本さんへの圧力も強まった。自宅では連日、無言電話が鳴り、電話が盗聴されたとしか思えない内容が書かれた手紙などが届いた。嫌がらせは、計画が凍結されるまで10年以上続いた。推進派に包丁を突きつけられたこともあった。しかし、「絶対に推進派の個人攻撃だけはするな」と周囲に何度も言い続けた。

◆住民のわだかまりは「もう過去のこと」

 反対派で建設予定地の土地を共有化したり、関電株を買って計画撤回の株主提案をするなどして手を尽くした。原発に反対する政治家を増やそうと、県議選や市長選などにも関わった。「強い者の味方をしたら坊主じゃない」という父の教えが行動を後押しした。

珠洲原発反対派の会合で、「凍結」に涙を浮かべる女性たち=2003年12月5日、石川県珠洲市で

珠洲原発反対派の会合で、「凍結」に涙を浮かべる女性たち=2003年12月5日、石川県珠洲市で

 塚本さんらの反対もあり、3電力側は2003年12月ついに計画凍結を発表した。11年の東京電力福島第1原発事故の後には「珠洲に原発はなくて良かった」と、推進派だった住民が塚本さんに話しかけてきたことも。だが、今では原発が住民の話題に上ることもない。住民同士のわだかまりは「もう過去のこと」だという。

 今回の能登半島地震で珠洲原発の予定地だった高屋地区の海岸線は数メートル隆起した。もし原発があったら大打撃を受けた可能性もあった。前出の井上さんは「原発事故が起きたら、能登はなくなっとったかもしれんね」。塚本さんは淡々と語る。「言葉を尽くすより、あの様子を見て想像がつくでしょう。やっぱり日本に原発を造れるところなんてどこにもないね、と」

   ◇

◆事業者による活断層評価は「明らかに過小」

高屋地区につながる峠道は激しく損傷し、車の通行が困難になった=石川県珠洲市で(吉田華子さん提供)

高屋地区につながる峠道は激しく損傷し、車の通行が困難になった=石川県珠洲市で(吉田華子さん提供)

 東京電力福島第1原発事故後、市民の立場で脱原発を求める発信・提言を続けている「原子力市民委員会」は、今回の能登半島地震で、地震や津波が頻発する日本の原発の危険性があらためて浮き彫りになったとして、18日にオンラインシンポジウムを開いた。

 「事業者による活断層評価は明らかに過小評価だった。数メートルに及ぶ地盤の隆起や変異を原発の安全設計に組み込むことはできない」「社会インフラが機能不全に陥った。原発事故発生時に避難や機材、人員の増強は不可能だと分かった」

 座長を務める龍谷大の大島堅一教授(環境経済学)が、今回の震災で浮き彫りになった、志賀原発の問題点を列挙した。

◆地割れが隆起が起きたら、原発は持たない

 「原発にとって脅威なのは、想定していない揺れが起こること」と「想定外」の地震の怖さをあらためて訴えたのは、元東芝原発設計技術者の後藤政志氏。志賀原発1号機の直下には活断層が走っていると一時は評価されたが昨年、覆った。「この断層を元に地震が起きると強く主張するわけではない。他で大きな地震が起きた時に連動して揺れ、原発に影響を与えるんじゃないか、という心配をしている」。その上で、「地割れや隆起が起きれば、原発は持たない。原発を断層のない安定した地盤の上に設置することは最低限必要。能登半島地震は原発の危険性を突きつけている」と訴えた。

 原子力資料情報室の松久保肇事務局長は使用済み核燃料(SF)について言及した。北陸電は仮に全電源が喪失した場合、SF冷却プールが100度に達するのは1号機で17日間、2号機で29日間と推定している。だが、松久保氏は「志賀原発は長時間停止しており、SFの発熱量がかなり下がっているからこれだけ時間がかかる。停止直後ならこんなに余裕はなかった、ということになるだろう」と話す。津波についても「今回は原発に3メートルの津波が来たとされているが、3メートル以上来たらどうなるか。海水ポンプも壊れていたのではないか」と危惧する。

◆徒歩も自動車も、屋内退避もままならない

地盤の隆起で海底がむき出しになった珠洲市の沿岸=9日

地盤の隆起で海底がむき出しになった珠洲市の沿岸=9日

 一方、環境経済研究所の上岡直見代表は、石川県が策定した避難計画で指定する道路の多くが寸断されたとし、「原発避難は30キロ、数十キロ移動する。徒歩は考えられない。自動車で移動するのかといったら駄目ということ」と断じた。

 今回は、多くの家屋が倒壊しており、屋内退避もままならない。上岡氏は「仮に倒壊しなくても、ライフラインが途絶すれば屋内退避はできない」とする。さらに、避難時に放射性物質が衣服や体に付着していないか調べる場所「スクリーニングポイント」の開設や、ヨウ素剤の配布も困難だと指摘した。

 大島氏は「日本は世界にも稀(まれ)な地震、自然災害大国。現行の規制基準に重大な欠陥があり、避難態勢にも実効性がない。現在稼働する全ての原発をただちに停止させるべきだ」と語った。(宮畑譲)

出典:東京新聞

私たちが福島第一原発事故で思い知らされたことは、放射能汚染もさることながら、なぜこんな田舎に危険なものを作ったのかと言うことです。

原発推進派は、過疎地で貧しいところに作れば地域が潤うと言いますが、私はそうではないと思っています。

行ってみれば分かりますが、このような人口の少ない地域の人々は凄く良い人たちなのです。

おおらかで親切だし、人を疑うようなことはまずしません。

しかし、良い人だけに騙されやすいのです。

都会から電力会社が来て、見たこともない多額の補償金をやるから原発を作らせろと言うわけですから、地域が混乱するのも無理がありません。

でも、珠洲市の方々の多くが反対して中止させてくれたのです。

もしも、この原発ができていて稼働中だったら今回の地震で壊れてしまった可能性が高いのではないでしょうか。

その証拠に、近くにある志賀原発の状況を見てみましょう。

志賀原発の現状

今回の地震では、政府の対応が最初から何か変でした。

初動が遅く、自衛隊の投入も1000人程度から徐々に増やす、被害状況もドローンでの空撮禁止など不可解なことばかりです。

多くの皆さんも、”なんか変だ”たぶんそう思っているのではないでしょうか。

ところが、Xである方が能登半島には志賀原発は大丈夫なのかと投稿しました。

それを見て、もしかすると重大な状況になっているのではないか、そんな疑念もあってここまで注視してきました。

やはり現実はいつまでも隠せません、ようやく東京新聞が報じました。

能登半島地震で原発は「警戒事態」だった…政府と自治体の対応を振り返る 指針に書かれた「避難の準備」は

能登半島地震では北陸電力志賀原発を巡る危機も看過できない。実は今回、立地する石川県志賀町で震度6弱以上を記録したため、国の原子力災害対策指針が定める緊急事態区分の一つ「警戒事態」に当たると原子力規制庁は判断していた。関連情報の周知や避難の準備が求められたが、震災対応に追われた地元自治体は手が回ったのか。複合災害に対応できるのか。(曽田晋太郎、西田直晃)

◆自治体職員も多くが被災して登庁ができない大混乱

 「阪神大震災の経験が生きなかった。経験を生かす以前の話だった」

能登半島地震では、災害対応の拠点となる石川県庁にも避難した人が集まった

能登半島地震では、災害対応の拠点となる石川県庁にも避難した人が集まった

 そう話すのは神戸市危機管理室の課長、渡辺智明さん(58)。6日から11日にかけて能登半島先端にある石川県珠洲市役所に入り、避難所運営のニーズ調査を担った。都市部で起きた阪神大震災とは異なる混乱ぶりがあったという。

 珠洲市は地方の過疎地。人口は約1万2000人。職員数も神戸が2万人だったのに対して400人ほど。3〜4割は被災して市役所に来られない状況だった。

 渡辺さんが現地入りした段階でも被害の全体像がつかめておらず、避難所の数や避難者数も不明だった。情報発信もままならず、飲料水などの物資が必要量以上に届く事態に陥った。

 「珠洲市は人手不足で満身創痍(そうい)だった。体系的に動けておらず、機能不全の状態だった。初動の局面からなかなか先に進めない状況になっていた」

◆震度6弱以上で「警戒事態」 原子力災害対策指針

 震災対応で大混乱した今回の地震。原子力災害でも重要な局面が迫っていた。

原子力規制委員会の議事録。警戒事態と判断されたことが記される

原子力規制委員会の議事録。警戒事態と判断されたことが記される

 志賀原発は停止中だったものの、立地する志賀町では元日に震度7、6日に6弱を記録した。その一方、原子力災害対策特別措置法に基づく原子力災害対策指針では「原発所在市町村で、震度6弱以上の地震が発生した場合」などを「警戒事態」と判断する基準の一つに定めている。

 警戒事態は事故対応の初期段階に当たる。住民対応を円滑に進める名目で規制庁や自治体は少なくない業務を強いられる。指針などによれば、職員の参集、関連情報の収集や周知のほか、環境モニタリングや避難の準備が必要になる。

 避難の準備で対象になるのが、原発の5キロ圏の高齢者や妊婦ら。搬送先や輸送手段の確保も求められる。

◆警戒本部を約5時間半で「廃止」 何を急いだのか

元日の地震後の北陸電力志賀原発

元日の地震後の北陸電力志賀原発

 規制庁によると、警戒事態に該当するかの判断は同庁が行う。今回のケースでは、志賀町で震度6弱以上を観測した2回とも警戒事態に認定し、原子力規制委員会・内閣府原子力事故合同警戒本部が設置された。

 ただ警戒本部は1日が約5時間半、6日が約40分で廃止された。この間、原子炉の「止める・冷やす・閉じ込める」の機能や使用済み核燃料の冷却状態を確認したという。

 富山大の林衛准教授(科学技術社会論)は「志賀原発に異常はないとしつつ、変圧器の油漏れや電源喪失などの情報がどんどん出てきた。規制庁は異常の把握を途中でやめ、『大丈夫でしょう』と決めたように見える。なぜ本部を急いで廃止したのか。信頼性を失う判断ではなかったか」と疑問を呈する。

 「情報が錯綜(さくそう)すれば自治体の混乱を招きかねない。不具合の原因が究明できていないので、いつ危険な状態になるか分からない。規制庁はきちんと地震の影響をチェックすべきだった」

◆石川県「国からの指示が特になかった」

大きく崩落した道路=石川県志賀町

大きく崩落した道路=石川県志賀町

 国もさることながら気になるのが、志賀原発を巡る地元自治体の動き、特に石川県の対応だ。

 志賀町出身で社民党県連代表の盛本芳久県議は「県は北陸電力の発表を追認するだけで、原発に関する独自の情報発信がほとんどない」と不信感を示した上で「タブー視されているかのようで、県の動きが見えないことに不安を感じている」と嘆く。

 実際のところ、県はどのように動いたか。

 県原子力安全対策室によると、元日の地震発生の約45分後、「事故現地警戒本部」の設置を国から文書で要請される直前、県独自の判断で拠点の志賀オフサイトセンターに職員2人を派遣した。地域防災計画では震度5以上なら全職員登庁と定め、担当者は「すぐに県庁の受け入れ態勢をとった」と説明する。

 その後、北電から安全性の情報提供を受けながら、周辺の空間放射線量を測る緊急時モニタリングの準備を整えたが、道路の陥没や隆起が相次ぐ中で様子見に徹した。担当者は「初動の迅速さ」を強調し、原子力災害対策指針が定めた通りの対応を説明。「規制庁と相談しながら対応を判断していた」とのことだった。

 ただ、5キロ圏の高齢者や妊婦らの避難準備は、立地町の志賀町に呼びかけていない。「国からの指示が特になかった」(県危機対策課の担当者)ためという。

◆地震に原子力災害が加わると「対処できるレベルをはるかに超える」

 志賀町によると、警戒事態で避難準備する対象者は少なくとも233人(2023年11月時点)が該当し、5キロ圏で生活する住民の約7%を占めている。実際に避難となると、震災対応と並行した動きが求められる。

地割れした道路=2日、石川県志賀町

地割れした道路=2日、石川県志賀町

 今回の地震でこうした原発対応に追われた県と志賀町に対し、盛本氏は「災害対応は本当に大変だった」とねぎらいつつ「原発の様子が気になる県民は多い。余震の際には『原発は大丈夫か』と不安が募る。もっと情報を集約してほしかった」と注文する。

 警戒事態からさらに状況が悪化すると、自治体などの負担がはるかに増す。

 避難を強いられた住民の誘導、避難者の体に付着した汚染の程度を調べるスクリーニング、甲状腺被ばくを軽減する安定ヨウ素剤の配布なども必要に。目の前の災害対応の中、対処しきれない事態が待ち受けている可能性が高い。

 新潟国際情報大の佐々木寛教授(政治学)は「能登半島地震では、水道破裂や道路陥没、電気不通が相次いだが、そこに原子力災害が加わると、単一の自治体が対処できるレベルをはるかに超える」と指摘する。

県道23号の片側一車線をふさぐ土砂崩れ=3日、石川県志賀町

県道23号の片側一車線をふさぐ土砂崩れ=3日、石川県志賀町

 「原発事故は十中八九、地震や津波と併発する複合災害。どの自治体も人員、物資ともに不足する」

◆国民を守るための方策が「簡略化」される懸念

 さらに佐々木氏は「原発事故の対応に手が回らないという理由を付け、防護策の簡略化に向かうのが怖い」とも警戒する。

 5キロ圏を例に取れば、今の指針では警戒事態よりも深刻な「施設敷地緊急事態」や「全面緊急事態」で避難の開始を想定するが、労力の問題から「5キロ圏でも屋内退避になってしまうかもしれない」と見通す。

 5キロ圏外でも「頑丈な建物に退避」が原発対応の基本とされかねない一方、今回の地震で建物の損壊リスクが明らかになっている。そんな中、屋内退避で難を免れるのに限界があるのは明白だ。飛散した放射性物質にさらされたり、体内に取り込んだりすることで、被ばくを強いられる可能性が高くなってしまう。

 佐々木氏は「原発が重大な事態に至らなくとも近くに住む人は不安を抱え、外に逃げてもいいか、屋内にとどまるべきか、迷いを生じさせる。それほど原発は厄介な存在だ」と訴える。

◆デスクメモ

 地震や津波の対応に奔走する自治体には頭が下がる。自身や身内が被災した例もあるだろう。彼らに原発対応まで求めるのは申し訳ない。災害時に負担を強い、疲弊を加速させるのが原発という存在。佐々木さんの言うように厄介であり、罪深くもある。そんな原発は本当に必要なのか。 (榊)

以上、この記事を読んで感じたことは、北陸電力は東京電力と同じように正確な情報を出さない隠蔽体質だと言うことです。

志賀原発は今のところ問題なしとされていますが、それをまともに信用できますか。

原子力規制委員会など、どこからかの圧力があったのかも知れませんが、こんな判断しかしない輩には本当に怒りしかありません。

やはり政治を変えなければ日本の未来はないと、つくづく思います。

原発を廃止する政治家を選ぼう

私の知人にも昔から原発廃止運動をやっている人がいますが、福島第一原発の事故が起きるまではかなり活動も下火になっていたようです。

しかし、それ以後はれいわ新選組代表の山本太郎氏の活躍もあって、次第に反原発運動も盛り返してきました。

そして、今回の地震で志賀原発と珠洲原発が取り上げられ、原発に対する不信はかなり高まってきていると感じます。

これからの時代は、原発を廃止するとする国会議員を輩出していかなければ私たちの生命・財産は守れません。

かつて原発計画、能登地震の震源 「珠洲」凍結 住民に感謝 元裁判長・樋口さん、つくばで講演

関西電力大飯原発3、4号機(福井県)の運転差し止め訴訟で、2014年5月に運転を認めない判決を出した元福井地裁裁判長の樋口英明さん(71)が、13日に茨城県つくば市内で講演した。20年前に原発計画が凍結された石川県珠洲市の地震被災に触れ、「原発反対の市民運動のおかげでこうして講演会ができる。当時の人たちに感謝しなければいけない」と語った。(青木孝行)

 元日の能登半島地震では、珠洲市付近を震源とするマグニチュード(M)7・6、最大震度7を観測し、同市内も震度6強の揺れに襲われた。

 珠洲市ではかつて、北陸、中部、関西の三つの電力会社が共同で原子力発電所の建設を計画。候補地の一つだった同市高屋町は、今回の震源地域に隣接する。「珠洲原発」は地元住民の間で建設に対し賛否が分かれ、電力自由化による競争激化などもあり、03年12月、3社は計画の凍結を表明した。

 講演で樋口さんはまた、国による原発再稼働の動きに関し「脱原発運動の一番の敵は、私たちの心の中にある『原発は難しい問題』という先入観です」と語った。原発は人が管理し続けなければならず、管理できなくなった場合、事故の被害は極めて甚大になる。樋口さんはそれを踏まえ、「地震大国」の日本では「原発はやめるしかない」との理解に至ると述べた。

 そのうえで、約200人の聴衆に「『原発をやめる』という政治家に、国民が投票行動をすれば本当にやめられる。皆さんが私の分身となって、原発の危険性を広めてほしい」と呼びかけた。

樋口さんの講演に耳を傾ける約200人の聴衆ら

樋口さんの講演に耳を傾ける約200人の聴衆ら

 今回の講演は、樋口さんが主人公の映画「原発をとめた裁判長そして原発をとめる農家たち」(92分)の上映会(上映&講演会実行委員会in茨城主催)に合わせて開かれた。

 講演後には、東京電力福島第1原発事故による自主避難者で福島原発被害東京訴訟原告の鴨下美和さん(53)や、原発事故損害賠償群馬訴訟の原告、丹治杉江(たんじすぎえ)さん(67)らと樋口さんとのパネルトークもあった。

<ひぐち・ひであき> 1952年、三重県鈴鹿市生まれ。京都大法学部卒。83年に判事任官。福岡、静岡、名古屋などの地裁・家裁、大阪高裁などで勤務。2014年5月に福井地裁で、裁判長として大飯原発差し止め判決を出し、15年4月には高浜原発再稼働差し止めの仮処分を命じた。17年8月、名古屋家裁を最後に定年退官。津市在住。

最後に、立憲民主党の原口一博衆議院議員の動画をご覧ください。

毎日、早朝から何本もYouTubeやニコ動・Xなどに発信をされています。

私の応援する山本太郎氏と思想も非常に近いものがあり、ぜひ連携して日本を立て直していただきたいものです。